わざわざ残す必要もないことを整理とか気にせずに吐き出していく。そんな空間。

時代の移り変わりと世界

18くらいの頃、初めてのノートパソコンを買った。
モバイルとは名ばかりの2kg位するコンパチノート。
電池は3h。
それでも当時の僕には宝物だった。

いつでもどこでもPCが触れるなんて夢みたいだった。
ラップトップじゃないハンドヘルド。
ユビキタスがすぐ近くにあるように思えた。

でも世界はそれを認めなかった。
世間は当時、携帯でネットがようやく一般化された程度の時代
パケホは着メロを大量に落とすためのもので
バックグランドの自動通信やらyoutubeやらにつかうものではなかった

電車の中でハンドヘルドPCをさわり
インターネットや動画鑑賞をする僕の姿は明らかに異質だった

今やスマホ全盛期
外でインターネットは当たり前の時代
喫茶店で、電車の中で、歩きながら、いろんな場所からネットにアクセスしてる
誰もそれを咎めようとはしない

未来はイメージできても意識はそこに追随しない
いいかえると、イメージは技術を凌駕するが、意識はそれを凌駕しない
技術革新の最後の壁は意識なのだ

だから世の中から疎まれの視線を向けられたからといって
それが必ずしも間違った事とは限らない。
技術が意識の先をいっているだけなのだから

今や電車の中でyoutubeなんて当たり前の時代
あの頃電車の中でふたご姫を見ていた俺は間違っていなかった

いつの日か、電車の中でLOが読める未来も、きっとそう遠くない