わざわざ残す必要もないことを整理とか気にせずに吐き出していく。そんな空間。

勉強会で討論テーマをやってみて思ったこと

 第三回関西アンカンファレンスに参加にて討論テーマをぶっこんできました。

 はい。正直、ネタが無かったです。あるにはあったんですが、テーマフリーの勉強会だけにちょっと堅すぎるかなぁと。つーか単純にもっと色んな人の話が聞きたくなったっていうのは大きい。

 実際にやってみて分かったのは「あーこれ、自分のやりたかったことだぁ」っていう事。ちょっとだけ自分の方向性とか見えた気がする。

発表会の良さとか悪さとか

 発表会ってのが悪いって話をしたいわけでもない。あれはあれでいいものだと思う。話し手は話す練習になるし,聞き手は新しい知識が得られる。特に細かい知らなかったこととか勉強会で学ぶ事は実に多いもんだと思ってる。尖った知識の宝庫というかね

 ただその中で自分が発表者側にあまりなれない理由としては「得るものが少なすぎる」ということ。話す練習は確かに魅力的なんだけどそれだけじゃどうにも。やっぱり駄目出ししてもらいたいし、フィードバックいっぱい貰いたい。その辺がなかなか難しい。

 発表会だと参加者は大抵「聞き手」の姿勢になってしまう。質疑応答とかもあるけどあんまり加熱してないよね。それがマナーみたいな雰囲気になっちゃってるのがどうにもね。たまにアグレッシブな聞き手さんもいるにはいるんだけど。

討論会の魅力

 討論会ってのは非常に無責任なもんで。基本的に参加者に丸投げ。

 発表会が「こんなスライド出来たから見てね!!」だとすると

 討論会は「こんなスライド考えたんだけどラストが決まらないから一緒に考えてよ」って感じ

ソレって結構楽しいんよね。自分じゃできない考え方とか,色々聞けて。あと気楽だしね。ガッツリ準備しなくても大丈夫。

 なんというか勉強会と懇親会の間、みたいな雰囲気があって凄く素敵。やっぱり色んな人の話が聞きたいから勉強会、みたいな場所に出てるわけで、そういう意味でも個人的には凄く成功だったと思ってるし,準備のない「生の声」を聞く方法っておそらくこれしかないんじゃないかなぁって、そう思ってる。

 つーか発表会とかなら,別に最近はもうニコ生とかでできるんじゃないだろうか、とかも思ったり。その中で、じゃあリアルで、せっかく集まったこのメンバーでなきゃできないこと、となると討論かなぁとか思うわけです。お互いのバックボーンとかがあって初めて成り立つ。まさにココでしか出来ない事!!って感じがした。

反省点

 まとめ方とかしっかりと考えておくべきだったなぁと。しっかりした議論になるって予想もなかったんでまぁ箇条書きでまとめられる、って思ってたんだけどそうも行かなかった。

 最低限記名してもOKか、とかの確認はとっとくべきだったよねぇ。自由に発言して,それがブログに乗っけられて、お前あんなこと言ってたのかよみたいな感じになるのは避けたい。議論するならレポは別に考えないと、発言の担保とか面倒だし。その上で、じゃあレポの時はどうするかって確認をとっておくべきだった。

話し手と聞き手の境界線

 このへんを取り除きたいってのが個人的な思い。なんというかそこで壁ができちゃうと交流会にならないんよね。シネジーしない。シネジーしない事はリアルである必要性とかあまり感じない。一方通行ならWebで十分だわ。きょうび、Webでも双方向性とか言ってるくらいなのに。

 あとはまぁハブの存在も不要にしてしまいたいって言うこと。要は責任概念の撤廃。この人が発表者で、この人が聞き手でとか要らない感じの。話したい人が話す。聞きたい人が聞く。ただし、場の品質保証は全員の責任。誰かが中心となって、みたいなホスト=クライアント型のつながり?そういうのってもう古い気がする。結局ホストが潰れた時にそこで終わりになってしまうのは悲しい。ある種のフィールド(物理的、でも精神的でも)、があってそこから自生してくるようなコミュニティ?みたいな理想論だけどさ。そういうの目指せたら「新しい」んじゃないかなぁと。喫茶店やりたいって夢もそういう、フィールドの創出、につながってるんじゃないかなぁと。

 なんで討論会だけに限らず、そういう「役割のない」勉強会?ってやつには結構魅力を感じたりする。まぁそう簡単に行く話でもないんでいろいろ模索して行きたいなぁと思う今日このごろです。多分全然まとまってないなぁ…